12月30日までは全てがうまく行っているように見えた。

31日、祖父が急逝。

1月1日、スキー合宿の準備を少々。

2日、葬儀の御遣い周り。

3日、明日の葬儀の準備。納棺。皆泣いていたけど僕の涙は流れなかった。本当はこの日にアパートに戻るつもりだった。葬儀もこの日に終わる予定だった。「友引」でなければ。

4日、葬儀。告別式の後、財布を入れたままのコートが見つからず、焦る。結局、義従兄が車の中に持って行ってくれていた。

おとき。義従兄と語る。ロビーで一服していたら、震度5弱の地震が。柱に飛びついてゆれが収まるのを待った。

祖父の家に帰ってからは義叔父に嫌味を言われた。僕が一方的に呑んでいたものだから、酒を注いでもらったら注いで返すのが礼儀だとか、年上の言う事に間違いは無いんだとか、(僕を見て)こうやってエヘラエヘラしている奴はあとで泣きを見るとか(しかめっ面しているのもどうかと思って笑顔で頷いていただけ)言いたいこといわれた。反撃してやろうかと思ったが、父母に迷惑がかかると思い、すっとその場を離れた。

3時に地元を発つつもりだったが、地震のせいでJRのダイヤが乱れ、発てたのは5時半を回ってからだった。混雑した越後湯沢駅では、祖父の形見として貰った黒い皮手袋の右手を失くしてしまった。これは非常に悲しかった。結局スキー宿まで辿り着くことが出来ず、途中でビジネスホテルに泊まった。

5日、仲間達と合流し、スキー。吹雪で顔が痛かったけど、楽しかった。酒もいっぱい飲んだ。白鹿。

6日、少々二日酔い。それでもスキーをして帰宅。8時〜9時に家の鍵が入ったバッグが宅急便で届く予定だったが(地元に鍵を忘れてきた)、5分の差で間に合わなかった。結局友人の家に一晩置いてもらった。

7日。8時半から荷物待ち。寒かった。ひたすら待った。とりあえず、家の鍵だけでも開けてもらおうと思って大家さんに電話したが日曜でダメだった。ひたすら待った。

11時近くになってだろうか。手すりに背を預けて目をつぶっていた僕を、下から呼ぶ声があった。見かねたご近所の方がお茶でもどうかと招いてくださったのだった。僕は素直に好意に甘えることにした。アパートの隣の一軒家。「スミヤさん」と言った。表札を見ていないので漢字は分からない。

ご主人と奥さんの二人暮しのようだった。子供は3人とのこと。皆水戸一高を出て茨城大学に行ったそうだ。姪御さんが新潟大学の工学部らしい。地元の新潟の話が出るとは思わなかった。雪についてや、水戸の名所など、いろいろな話をした。お茶だけでなく磯辺もちとお味噌汁まで頂いた。11時50分、荷物が届いた。きちんと鍵も入っていた。スミヤさん夫妻に名前と部屋番号を伝えおいとました。

水戸に来て9ヶ月、赤の他人にこんなに親切にしてもらったことは無かった。感激して感無量だった。僕の地元は米どころ、国内最高ブランド「魚沼産コシヒカリ」の生産地だ。ぜひこれを送りたい。僕に出来るのはこれくらいだから。

あっという間に冬休みが終わった。建設的なことは何も出来なかった。スキー合宿の幹事も中途半端だった。

明日からは授業がある。切り替えていこう。忘れかけていた気持ちを取り戻そう。


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