帰省その2

2001年8月16日
15日
母方の実家の掃除の手伝いに行った。
去年の暮れ、祖父が亡くなったのだが
そのベッドを解体して3階の物置に
片付けて欲しい、と同時にタンスも
移動して欲しい、とのことだった。

お袋と俺、妹、弟の総力戦。
ベッド解体のみならず、電灯のかさの
掃除、鴨居の掃除なんかもやった。
電灯のかさはひどかった。数十年分の
埃がたまり、層を形成していた。
で、かさをはずして下ろそうとしたのだが
思いの外重く、片手で支えるのは大変だった。
おもわず声が出るくらい重たかった。

途中天気雨になった。本当に太陽は眩しいのに
大粒の雨が降ってきた。

解体したベッドを3階へ。サウナのような
3階物置。パーツを一つずつ運び上げ、
マットレスを引きずり上げて終了。

タンスや茶だんすを移動して全作業終了。

風呂に入るが、雷のせいで停電が頻発し
ボイラーがきちんと作動せず、大変だった。

夜は12時に友人の家に飲みに行った。
4時ごろ帰途に着いた。


16日
毎年恒例の「火渡り」の日。
隣の町に八海山という山があるのだが、
霊山として有名で、修験者の修行の場となっている。その麓の寺で小規模ながら毎年行われている。
大きいものは数十年に一度のペースで行われる。
俺は小学生のころから参加しており、
今年でたぶん9回目だと思う。

寺で経文と真言を唱え、祭壇の火をもって
裏山の神社に向かう。そこには井桁に組まれた
木材と杉の葉がある。キャンプファイヤーの
ようなものと思えばいい。そこで再び経文と
真言を唱え、修験者は「火伏せの術」に入る。
今年は先達の息子さんが修行を終えたため、
お披露目で術を行った。火渡りに集まった人は
護摩木を渡され、願を懸けて火の中に投ずる。
あらかた燃え落ちたら、竹で炭を均し、平らにする。もちろん、熱く燃えている炭であり、赤い。
術が完成したら、先達から渡りはじめる。
当然素足である。施術に参加した行者、信者が
渡り終えると一般人の渡りとなる。
俺は毎年一般人の中で最初に渡っている。
当然、あとになるほど炭の層が薄くなるため
ぬるくなる。わたるとちょうど神社の
正面に来るためそこで一礼四拍一礼。
以上で火渡りは終わる。
全員が渡ったら、術を解く。それ以後は
渡れない。渡ってもいいが火傷をするだろう。

寺でお昼ご飯を頂く。魚沼産コシヒカリのおにぎり、その他郷土料理がテーブルを飾る。
大人席と子供席があるのだが、今年で20歳
なので祖父と共に大人席に着いた。去年も大人席
だったが。
周りは年寄りばかり。そこに若いのが一人。
当然飲まされる。
「ほれ、あんにゃ」
「あ、すんません」
律儀な俺は杯を乾かしてから頂く。
おかげでかなりペースを乱された。
で、日本酒に手を出したのがまずかった。
帰りの車の中では意識がなかった。

実はこの日、18時から飲み会の約束があった。
高校の体育祭でパネルを作った仲間たちとの飲み。
しかも幹事は俺。目を覚ましたら17時半。
凄まじい頭痛、吐き気。母親が迎えに着たが
そのときはトイレにいた。一通り吐き出して
くらくらする頭を抱えて30分遅れで到着。
一応乾杯の音頭を取る。が、ウーロン茶。
時間がたつに連れ、収まってきた。
ウーロン茶2杯あけた頃にはかなり具合が良くなっていた。みんなとの会話が弾む、楽しい時間。
7月にあった小クラス会。あれとは全然違い、
とても楽しかった。6時に入った店で10時まで騒ぎ、その後30分歩いてカラオケへ。
二部屋借りて、大盛り上がり。2時間遊んで
一時半。宴の終わりのとき。またみんなで
歩いて帰途に着いた。道すがら、ひとり、またひとりと家路に向かって別れていく。
そのたびに
「またやるからな!」
と声をかけた。最後は仲のいい男友達と二人になった。よく語り合った二人。1年半の時を経ても
それは変わらなかった。嬉しかった。
そいつと別れてからの20m、ひたすら思ったことは
「ああ、十日町は星が綺麗だなぁ。
 2年前の6月12日もこんな空だったなぁ。
 高校生活一番の思い出となったパネル作り。
 あいつらと一緒だったから出来た。
 あいつらと一緒でよかった。
 今日は全員が集まれたわけじゃない。
 次は何年後になるかわからないけれど
 全員集まれるといいなぁ。
 素晴らしき仲間たちよ、再び会う日まで
 どうか元気で」


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